知ること、知らないこと
2006年 10月 18日
「この度はどうも・・・」
そう言って頭を下げている両親の顔が浮かぶ。
想像なのは俺が目を閉じているからだ。
「若かったのに残念だわ・・・」
そんな声も聞こえる。
お決まりの文句。
安っぽい同情。
流す涙さえも目薬でないかと疑ってしまうのは卑屈になりすぎているのだろうか?
『癌ですね。あと3ヶ月くらいでしょう』
事務的にそう医師が告げたのは突然だった。
姉の健康診断で両親が呼び出され、からかいのネタにできるかとついていったらこれだ。
『術式で取れる部位ではありません。期待は薄いですが薬で治療は可能です。しかし辛く長いものになりますのでご判断はお任せします』
選択を迫る医師。
感情をそこに挟まないことに好感を覚えた。
同情や優しさなどいらない。
失う辛さなんて個人でしか抱えられないものだから。
「あの・・・」
父親がやっとという調子で口を開いた。
「やはり苦しむのでしょうか?」
その言葉に母親が崩れた。
俺は震える母親を抱えて部屋を出た。
父親の背中が小さく見えた。
「あいつには秘密にしよう」
それが、結論だった。
抗癌剤を使えばもちろん決められた生以上に生きられる。
だがそれ以上に辛さや苦しさを与えることになる。
「だが、このまま進行させるのが一番苦しまないそうだ」
母親は反対した。
あなたは娘に生きて欲しくないのか、と。
「苦しませるよりはずっといい・・・」
握り締めた父親の手には血が滲んでいた。
最初は努力が必要だったように思う。
気を抜けばどうしても優しくなってしまいそうになった。
「変なの」
と姉は何の気なしに笑っていたが、そのたびに不自然なのかと不安になった。
普段どおりに叱ったり突き放したりできる両親をすごいと思えた。
姉は病気だということを感じさせることもなく普通に学校へ行って受験勉強をして、たまに遅くに帰ってきて母親に叱られていた。
「なんか頭痛がする」
「慣れないことしてるからじゃねーの?」
「そういうこと言ってる人間が後で苦労するのよね」
そんな会話にも余裕になった。
「ちょっと、私のおやつ取ったでしょ!」
「しらねーよ!」
「じゃあ口の白いのは何?」
「えっ・・・」
「何もついてないわよ」
「てめぇ!!」
「あー、早くこの地獄抜け出して大学行きたい」
「そもそも入れる心配をしろっての」
「何よ、これでも判定はいいんだからね」
「アルファベットのEだろ?」
「なっ・・・!?」
そして、卒業式のあと家に帰り、筒を誇らしげに見せて・・・。
あとはお決まりの不幸な日流れ。
2週間後が今だ。
「治療を拒否したらしいわよ・・・」
「何て親かしら・・・」
外に出たらそんな声が聞こえた。
見ると先ほど何かを言っていたおばさんだった。
「・・・・・・」
なにやら楽しそうに話していたが、こちらの視線に気付いたのか慌てて頭を下げると話し相手を促して外へ出て行った。
まぁこんなもんだろ、他人の不幸なんて?
投げやりにため息をつき外へ出る。
「やぁ」
声に顔を上げると、いつか見た顔があった。
「君は久しぶりだね」
白衣ではなく黒いスーツ姿だったがあの日の医師だった。
「なんとなく入りづらくてね。タバコ、いいかな?」
うなずくと彼はポケットから取り出して一息。
煙が空に消えるのを見ながら医師はゆっくりと言った。
「君は正しかったと思うかい?」
俺は無言。
少し間をおいて医師は続ける。
「医者の立場で言えば治療を受けるべきだったと思う。だけど僕は君の両親の選択は正解だったと思っている」
俺は無言。
医師は気にせず続ける。
「病は気からというものを信じているわけじゃないけど、知らなければいいこともあるんだ。確かに」
医師はタバコとともに息を吐き、続ける。
煙はゆっくりと空へ消えていく。
「何かで見たことがあるかもしれないけれど癌の治療はそれこそ地獄だ。僕は何度も絶望や執着、そういう汚い部分を見てきた」
けれど、と続ける。
「それでも生きているということなんだよ。そこではね」
俺は無言。
「だけど個人的には病院という場所は死ぬための場所だ、とも思う」
それを意識している人も多いしね、と続ける。
ポン、と頭の上に手が置かれる。
「僕が言うことではないけど」
手の暖かさが伝わってくる。
姉が失くしたもの。
「君のお姉さんは幸せだった、と思うよ」
力が抜けた。
上辺でもよかった。慰めでもよかった。
「あり・・・がとっ・・・ござ・・・っした・・・」
それ以上は言葉にならない。
見上げて合わせた瞳の奥は半年前と変わらず優しかった。
誰かに言って欲しかったんだ。
誰かに認めて欲しかったんだ。
姉が生きていた、ということを。
そう言って頭を下げている両親の顔が浮かぶ。
想像なのは俺が目を閉じているからだ。
「若かったのに残念だわ・・・」
そんな声も聞こえる。
お決まりの文句。
安っぽい同情。
流す涙さえも目薬でないかと疑ってしまうのは卑屈になりすぎているのだろうか?
『癌ですね。あと3ヶ月くらいでしょう』
事務的にそう医師が告げたのは突然だった。
姉の健康診断で両親が呼び出され、からかいのネタにできるかとついていったらこれだ。
『術式で取れる部位ではありません。期待は薄いですが薬で治療は可能です。しかし辛く長いものになりますのでご判断はお任せします』
選択を迫る医師。
感情をそこに挟まないことに好感を覚えた。
同情や優しさなどいらない。
失う辛さなんて個人でしか抱えられないものだから。
「あの・・・」
父親がやっとという調子で口を開いた。
「やはり苦しむのでしょうか?」
その言葉に母親が崩れた。
俺は震える母親を抱えて部屋を出た。
父親の背中が小さく見えた。
「あいつには秘密にしよう」
それが、結論だった。
抗癌剤を使えばもちろん決められた生以上に生きられる。
だがそれ以上に辛さや苦しさを与えることになる。
「だが、このまま進行させるのが一番苦しまないそうだ」
母親は反対した。
あなたは娘に生きて欲しくないのか、と。
「苦しませるよりはずっといい・・・」
握り締めた父親の手には血が滲んでいた。
最初は努力が必要だったように思う。
気を抜けばどうしても優しくなってしまいそうになった。
「変なの」
と姉は何の気なしに笑っていたが、そのたびに不自然なのかと不安になった。
普段どおりに叱ったり突き放したりできる両親をすごいと思えた。
姉は病気だということを感じさせることもなく普通に学校へ行って受験勉強をして、たまに遅くに帰ってきて母親に叱られていた。
「なんか頭痛がする」
「慣れないことしてるからじゃねーの?」
「そういうこと言ってる人間が後で苦労するのよね」
そんな会話にも余裕になった。
「ちょっと、私のおやつ取ったでしょ!」
「しらねーよ!」
「じゃあ口の白いのは何?」
「えっ・・・」
「何もついてないわよ」
「てめぇ!!」
「あー、早くこの地獄抜け出して大学行きたい」
「そもそも入れる心配をしろっての」
「何よ、これでも判定はいいんだからね」
「アルファベットのEだろ?」
「なっ・・・!?」
そして、卒業式のあと家に帰り、筒を誇らしげに見せて・・・。
あとはお決まりの不幸な日流れ。
2週間後が今だ。
「治療を拒否したらしいわよ・・・」
「何て親かしら・・・」
外に出たらそんな声が聞こえた。
見ると先ほど何かを言っていたおばさんだった。
「・・・・・・」
なにやら楽しそうに話していたが、こちらの視線に気付いたのか慌てて頭を下げると話し相手を促して外へ出て行った。
まぁこんなもんだろ、他人の不幸なんて?
投げやりにため息をつき外へ出る。
「やぁ」
声に顔を上げると、いつか見た顔があった。
「君は久しぶりだね」
白衣ではなく黒いスーツ姿だったがあの日の医師だった。
「なんとなく入りづらくてね。タバコ、いいかな?」
うなずくと彼はポケットから取り出して一息。
煙が空に消えるのを見ながら医師はゆっくりと言った。
「君は正しかったと思うかい?」
俺は無言。
少し間をおいて医師は続ける。
「医者の立場で言えば治療を受けるべきだったと思う。だけど僕は君の両親の選択は正解だったと思っている」
俺は無言。
医師は気にせず続ける。
「病は気からというものを信じているわけじゃないけど、知らなければいいこともあるんだ。確かに」
医師はタバコとともに息を吐き、続ける。
煙はゆっくりと空へ消えていく。
「何かで見たことがあるかもしれないけれど癌の治療はそれこそ地獄だ。僕は何度も絶望や執着、そういう汚い部分を見てきた」
けれど、と続ける。
「それでも生きているということなんだよ。そこではね」
俺は無言。
「だけど個人的には病院という場所は死ぬための場所だ、とも思う」
それを意識している人も多いしね、と続ける。
ポン、と頭の上に手が置かれる。
「僕が言うことではないけど」
手の暖かさが伝わってくる。
姉が失くしたもの。
「君のお姉さんは幸せだった、と思うよ」
力が抜けた。
上辺でもよかった。慰めでもよかった。
「あり・・・がとっ・・・ござ・・・っした・・・」
それ以上は言葉にならない。
見上げて合わせた瞳の奥は半年前と変わらず優しかった。
誰かに言って欲しかったんだ。
誰かに認めて欲しかったんだ。
姉が生きていた、ということを。
by iceman0560
| 2006-10-18 14:57
| 書き物